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> ニュース一覧 > 「43歳から始める女一人、アメリカ留学」No.65(最終回)・・・留学の終わり(ライクス)- 2018.02.18(日) 10:00

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「43歳から始める女一人、アメリカ留学」No.65(最終回)・・・留学の終わり

ライクス

2018.02.18(日) 10:00

マリナーズの本拠地セーフコ・フィールド

 ものごとには、始まりがあれば終わりがある。留学のビザが切れる日が、ついにやってきた。はじめての留学、はじめての異国暮らし、20年ぶりに体験する大学生活、そして20年ぶりに体験する無収入生活。これらにピリオドを打つ時がきた。

 今日から暮らす家がどんな場所なのか、ルームメイトはどのような人なのか、受け入れてくれる教授はどんな人なのか。ふりかえれば、メールのやりとりだけで話を進め、相手の顔も見ずに決めたことばかりだった。住む場所、滞在する街、常駐先の大学。そういえば送金さえ、ネット決裁だった。紙が来たのは、大学からの正式受け入れ通知くらいのものである。

 と、昨日のことのように、初渡米の日の記憶が脳裏をかけめぐる。しかし感傷に浸るひまはない。日本へ荷物を発送して、スーツケースに持ち物を詰めて、今日この物件の契約最終日までに、わが慣れ親しんだ一部屋を、空き部屋にして、ルームメイトに返さなければならないのだ。

 片付け、荷造りに掃除機、拭き掃除。さて、なんでこんなもの持ってきたんだろう、」の筆頭格は「着物」だった。「これが日本の民族衣装です」と、誇らしげに袖を通すチャンスが、きっとあるに違いないと思っていたのである。わざわざ銀座の和装小物屋で草履を新調し(3万円もした!)、着付けDVDを用意して、万全の状態で海を越え、シアトルへやってきた三揃いの着物たち。

 ガムテープをはがしてさえもらえず、送り返されることになった。残念。

 ごめんね、君たちの出番が到来するような、華やかな留学じゃ、到底なかったのよ。着物をきて出かけるほど歓迎される機会なんて、なかったの。

 その通り。貴重な出会いは、数えきれないほどあったが、一方で、人とつながることの難しさも痛感したのが、この1年の教訓であった。「このたび、帰国します。あの時は大変お世話になりました」というメールを、思いつく限り、出会った人達に書いてみた。暖かい返事を、沢山、受け取った。でも返事のなかった人も、少なくはなかった。

 「アメリカ人は、『こいつは使える、こいつは使えない』をはっきり選別するよ」とアメリカ留学体験のある友人から、聞かされていた。ああ友よ、その通りだったよ。

 とはいえ、大きな出会いもあった。その筆頭はわがルームメイト。空港に出迎えに来てくれたあの日から、いろんなことがあったよね。お金を貸してくれと何度も頼まれたり、私たちの食器で犬にえさをやったり。いやいや、いいことも沢山あった。私が病気で一時帰国しなければならなくなり、泣いていた時には抱きしめてくれたし、ついでに、奇妙な呪術「シャーマン・ヒーリング」もやってみてくれた。

 それに、彼女との同居生活がなければ、私には、アメリカ人女性と深く付き合うチャンスは結局なかった。アメリカ人、中でも白人のアメリカ人は、この社会では今なお、見えない壁、階段にて仕切られた「最上階」に住んでいる。同じクラスで机を並べていても、休み時間になると、白人、ヒスパニック、アフリカ系、アジア系、とだいたい人種ごとに色分けしたグループで、だれもがつるんでいる。

 そういった、人種の隔絶の今なお残るアメリカ社会の現実を思えば、わがルーミーは、出来た人だった。たどたどしくしか話せない私の話を嫌な顔ひとつせず、よく聞いてくれた。英語の添削も、さして面倒がらずに、引き受けてくれた。彼女の友達の、白人女性や男性は、「ミホも一緒に」と私たち2人をクリスマスディナーに招待してくれたり、とてもよくしてくれた。中産階級アメリカ人の暮らしを、彼女を通じて垣間見せてもらった。

 いや。そうしてルーミーが私によくしてくれたのだって、ルームメイトとして、店子として、私が上客だったから? 客として「使える」存在だったから?

 いえいえ、そうは考えないでおこう。とにかく生身をさらしての共同生活、振り返れば「楽しかった」の一言だ。

 ルーミーは「忙しいから」といって、私のこの家からの出発を、見送ってくれたりはしなかった。淋しい気もしたけれど、めそめそした別れはしたくない。「またね、じゃあ夕方には出て行くから」。こういって、私が彼女を見送った。

 私を見送ってくれたのは、大型犬であった。普段は私の行動に、まったく無関心な彼なのに、この日だけは『何かが違う』と察したかのように、ドタバタ動き回る私の様子を目で追っていた。

 ありがとうね。キミのヨダレは量が多くて、くさいんだ。いつも顔をペロペロさせてあげずにいて、悪かったね。でもキミがいてくれて、心が和んだよ。また遊びに来るからさ。

 迎えの車が、クラクションを鳴らしている。スーツケースの取っ手を持ち、ささっと犬の頭をなぜた。電気を消して、玄関の鍵をしめて、その鍵はポストへ投げ入れた。せかされるように車に乗り込んだ。わが中年留学生活は、こうして、慌ただしく幕を閉じた。



※写真キャプション
シアトルともいったんお別れ。飛行場行きの電車から、マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドが見えた


****** 長い間ありがとうござました。 ****** 




フリーライター
長田美穂さん(ながた みほ、1967年 - 2015年10月19日 )
1967年奈良県生まれ。東京外国語大学中国語学科を卒業後、新聞記者を経て99年よりフリーに。
『ヒット力』(日経BP社、2002年)のちに文庫 『売れる理由』(小学館文庫、2004年)
『問題少女』(PHP研究所、2006年)
『ガサコ伝説 ――「百恵の時代」の仕掛人』(新潮社、2010年)共著[編集]
『アグネス・ラムのいた時代』(長友健二との共著、中央公論新社、2007年)翻訳[編集]
ケリー・ターナー『がんが自然に治る生き方』(プレジデント社、2014年)脚注[編集]

[電子書籍]
43歳から始める女一人、アメリカ留学 上巻
上巻
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下巻
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問題少女 第1巻〜最終巻
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/215228


株式会社ライクスより
末期ガンと聞いていましたが、2015年10月19日に亡くなられたことを知りました。
知人の紹介で福島市内で会ったのが出会いでした。とても素直な感じの素敵な女性だったと記憶しています。アメリカに勉強しにいくと聞いでアメリカ通信を書いてというのが「43歳から始める女一人、アメリカ留学」の始まりでした。電子出版を出したいという長田さんの思いは、今の世に少しでも痕跡を残したいとの思いだったのかもしれません。
売り上げは、全て長田さんの仏花とさせていただきます。
ありがとうございました。

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