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> ニュース一覧 > 「43歳から始める女一人、アメリカ留学」No.29・・・アメリカでの友達との親密度は「日本の3割」(ライクス)- 2018.01.13(土) 10:00

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「43歳から始める女一人、アメリカ留学」No.29・・・アメリカでの友達との親密度は「日本の3割」

ライクス

2018.01.13(土) 10:00

「シアトルの人は実はクール」との説もあるが

 前回書いた、1回のランチで部屋に誘ってきたケンの出来事があってから、考えた。私はなぜ、「金曜の夜」の食事に誘ってくる男の、しかもまったく異性として関心のない男の誘いに、ランチとはいえほいほいと乗ってしまったのか。

 理由ははっきりしている。友達が欲しかったのだ。

 こちらに来てなにが辛いかというと、英語ができない事よりむしろ、友達ができないことだった。英語と友人関係、この2つは密接にリンクしている。言葉が満足に話せない人と、しゃべって楽しい人はいない。いたとしたら、逆に何か目的か、下心があるのではないかと疑った方がよいだろう。大学のキャンパスをうろうろしている、イケメン宣教師のように。

 ずっと不思議だった。シアトルでは道行く人はみなフレンドリーで、目が合えば「ハイ!」、スーパーのレジでも「ワッツ、ゴーイングオン、トゥデイ?」と話しかけてくるのが常なのに、大学では友達、といえる親しさにまでつながりが発展しないのだ。

 授業に出ていれば、顔見知りは増えていく。「ハイ!」「ハウアーユ?」はある。でもそれだけ。ランチにいけば、いい方だ。私は日本ではとても友人にめぐまれていたし、これぞ、という人には勇気を持って一歩踏み込むことにためらうことはなかった。でもここでは、なぜか、それが拒まれるような目に幾度かあった。

 たとえば夜の授業に出ていた時、同じ路線のバスに乗るクラスメートがいた。初日、彼女とバス停で鉢合わせたので、「名前は」「どこに住んでるの?」「仕事は?」「私は4ヶ月前日本から来て」云々と、かなり親しく話すことができた。バスの中でも横に座り、彼女の仕事の愚痴などを聞き、私はとても楽しかった。
 
 翌週、授業が終わって教室を出ると、同じ路線のバス停に向かって歩く彼女と信号で一緒になった。「あ、ハーイ」と私が声をかけようとすると、彼女は露骨に背を向けて、うっとうしそうに、携帯電話を取りだした。これが「壁」というものか、と実感したのだった。その後3ヶ月の間で、彼女と話すことは一度もなかった。

 この話をある時、アメリカ人の男性にすると、「それはいわゆる『パジェットサウンド・クールネス』ってやつかもしれないね」と言われた。パジェットサウンドとは、シアトル周辺の一帯を指す地域の名称だ。

 「つまり、表面的には、人々はとてもオープンマインドでフレンドリーなんだけど、ある一線を越えて踏み込もうとすると、とたんに壁を作ってしまう。そういう人は、シアトルでは多いよ。その理由はよく分からないんだけど」

 そう、相手が作ったその壁が、目の前でシャットダウンする瞬間を、私は何度も体感してきたのだ。

 しかしこの人の説明によると、それがシアトルの気風なのであれば「私の英語がダメだから」と自分をさほど責める必要もないのかもしれない。そう考えると、かなり気が楽になった。

 そんなある時、膝を打つ一節に出会った。シアトルで留学生や駐在日本人のカウンセリングをしている角谷紀誉子さんの著書「在米心理カウンセラーが教える 留学サクセスマニュアル」(アルク刊)に、こうあった。

「まず、留学したら、友達関係の定義を改めることです。日本の親友や仲のいい友達との信頼度や親密度、気の合い方が『10』だとすると、アメリカでできる日本人の友達とは『3か4』あればいいほうだと思っていて下さい。新しい土に植え替えられたら、植物は昔の土で生えていた時と同じようには成長しません。土や養分や水の違いで、花の大きさや色が変わったり、果物なら味が変わったりするものです。アメリカでは新しい種類の人間と友達になり、彼らと付き合うことで日本にいた時とは違う自分になっていくのです」

 角谷さんは、日本での友達関係を「10」とすれば、アメリカでの日本人の友達は「3か4」と考えろ、と書いている。いわんや、アメリカ人の「友達」をや、ではないか。

 3か4で「友達」だと、自分で定義しなおせばいい。それなら友達、または友達候補くらいは何人かいるかな、と思えてきた。

 さらにこうも思えてきた。人間関係を定義しなおす、という作業は、外国にいるか否かに関わらず、これから年を重ね、自分を取り巻く環境が変わるにつれて、必要になっていくのかもしれない、と。




フリーライター
長田美穂さん(ながた みほ、1967年 - 2015年10月19日 )
1967年奈良県生まれ。東京外国語大学中国語学科を卒業後、新聞記者を経て99年よりフリーに。
『ヒット力』(日経BP社、2002年)のちに文庫 『売れる理由』(小学館文庫、2004年)
『問題少女』(PHP研究所、2006年)
『ガサコ伝説 ――「百恵の時代」の仕掛人』(新潮社、2010年)共著[編集]
『アグネス・ラムのいた時代』(長友健二との共著、中央公論新社、2007年)翻訳[編集]
ケリー・ターナー『がんが自然に治る生き方』(プレジデント社、2014年)脚注[編集]

[電子書籍]
43歳から始める女一人、アメリカ留学 上巻
上巻
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下巻
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問題少女 第1巻〜最終巻
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株式会社ライクスより
末期ガンと聞いていましたが、2015年10月19日に亡くなられたことを知りました。
知人の紹介で福島市内で会ったのが出会いでした。とても素直な感じの素敵な女性だったと記憶しています。アメリカに勉強しにいくと聞いでアメリカ通信を書いてというのが「43歳から始める女一人、アメリカ留学」の始まりでした。電子出版を出したいという長田さんの思いは、今の世に少しでも痕跡を残したいとの思いだったのかもしれません。
売り上げは、全て長田さんの仏花とさせていただきます。
ありがとうございました。

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